【解散から40年】杉山清貴&オメガトライブの前身はロックバンド

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杉山清貴さんの大ファンになってから、毎日webで検索したり曲を聞いたりする日々が続いています。

曲を聴きたい、ライブ映像を見たい、雑誌の記事を読みたい・・・・

手当たり次第に後追いで閲覧しているため、頭の中が雑然としています。

そこで1980年代から今日までを、振り返りやすように、まとめてみようと考えました。

杉山さんは杉山清貴&オメガトライブとして1983年にメジャーデビュー。

7枚のシングル曲と5枚のアルバムが発売されています。(2年8ヶ月でこの驚異の曲数です。)

そしてデビューからわずか2年8カ月後の1985年12月に、杉山清貴&オメガトライブは解散します。

2年8カ月とは思えないほどの、存在感、成果、功績です。しかも40年経っても色褪せることなく愛されています。

時系列ではなくて、印象深い部分からまとめていきます。

目次

1983年4月21日デビュー

1983年4月のデビューです。デビュー曲からヒットして、あっという間にスター街道を駆け抜けていきます。

オリコンCDシングル年間売上ランキング1983年

1983年

1さざんかの宿大川栄策1982/08/01105.9
2矢切の渡し細川たかし1983/02/2190.8
3めだかの兄妹わらべ1982/12/2188.5
4探偵物語 /すこしだけやさしく薬師丸ひろ子1983/05/2584.1
5氷雨佳山明生1982/07/2179.0
6キャッツ・アイ杏里1983/08/0573.8
7ガラスの林檎 /SWEET MEMORIES松田聖子1983/08/0170.0
8セカンド・ラブ中森明菜1982/11/1065.5
9フラッシュダンスアイリーン・キャラ1983/06/2563.7
10め組のひとラッツ&スター1983/04/0162.2
11時をかける少女原田知世1983/04/2158.7
123年目の浮気ヒロシ&キーボー1982/08/2158.7
131/2の神話中森明菜1983/02/2357.3
14初恋村下孝蔵1983/02/2552.5
15氷雨日野美歌1982/12/0550.0
16天国のキッス松田聖子1983/04/2747.1
17禁区中森明菜1983/09/0744.2
18浪花恋しぐれ都はるみ・岡千秋1983/05/2143.8
19トワイライト中森明菜1983/06/0142.9
20想い出がいっぱいH2O1983/03/2542.7
21ボヘミアン葛城ユキ1983/05/2141.1
22秘密の花園松田聖子1983/02/0339.5
23ミッドナイト・ステーション近藤真彦1983/01/2039.1
24恋人も濡れる街角中村雅俊1982/09/0138.5
25エスカレーション河合奈保子1983/06/0134.9
26悲しい色やね上田正樹1982/10/2134.8
27汚れた英雄ローズマリー・バトラー1982/11/0134.7
28君に、胸キュン。イエロー・マジック・オーケストラ1983/03/2534.7
29真夏の一秒近藤真彦1983/04/2734.4
30メリーアンアルフィー1983/06/2133.8
  • 31位 柏原芳恵『春なのに』
  • 32位 風見慎吾『僕笑っちゃいます』  
  • 33位 田原俊彦『ピエロ』  
  • 34位 近藤真彦『ためいきロ・カ・ビ・リー』
  • 35位 田原俊彦『さらば‥夏』  
  • 36位 岩崎宏美『家路』  
  • 37位 サザンオールスターズ『ボディ・スペシャルII (BODY SPECIAL)』  
  • 38位 稲垣潤一『ドラマティック・レイン』  
  • 39位 杉山清貴&オメガトライブ『サマー・サスピション』  
  • 40位 早見優『夏色のナンシー』  

1983年オリコンチャート

39位 杉山清貴&オメガトライブ『サマー・サスピション』  

デビュー前のカーリーヘア【歌はロック】

デビュー前の映像が投稿されています。

公式チャンネルからの動画です。杉山さんだと指摘されなければ、分かる人は少ないのではないでしょうか。

【きゅうていぱんちょす】という名前の、杉山清貴&オメガトライブの前身時代のバンドでの演奏です。

歌っている曲はロック調です。桑名正博さんのような髪型です。そしてルックスもデビュー時とは、かなり違って見えますね。

歌い方もデビュー曲の「サマーサスピション」の歌い方、声の出し方別人のようです。

杉山さんは1959年生まれなので、この動画は22歳の頃だと思います。

なぜロックからシティポップ?

サマーサスピション、君のハートはマリンブルーの頃です。

歌い方も、ルックスも、曲調もメジャーデビュー前のきゅうていぱんちょす時代の面影がありません。

サマーサスピション (1983年3月27日 第12回東京音楽祭世界大会)

カーリーヘアでロックを歌う若者を、哀愁漂う曲調のポップスのボーカルに抜擢したプロデューサーの慧眼 (けいがん)には驚嘆せざるを得ません。

伸びのある声、音程も安定して、この声質。

ロックバンドのボーカリストとしても成功した?のでしょうか。どうだったのでしょうね。

杉山清貴&オメガトライブ 35年目の真実 林哲司が作り上げた哀愁サウンドの秘密

種明かしです。

杉山清貴&オメガトライブ 35年目の真実 林哲司が作り上げた哀愁サウンドの秘密

本を購入しました。

この本を読んで、謎が解けました。デビューからの軌跡、2年8ヶ月という短い期間で解散してしまったこと。

杉山清貴&オメガトライブは、藤田社長がプロデュースするワンマン的なプロジェクトだったんですね。

いろいろな違和感の正体が、これでしっくりきました。

しかも、このプロジェクトに対するメンバーの皆さんの苦悩もかなりのものだったと理解しました。

解散に向かってしまった経緯も、この本を読んで察するに至りました。

感想

ここからは、私感です。

あの当時1983年頃は、チェッカーズや安全地帯、アルフィーなどのグループが活躍し始めたときでした。

彼らと杉山さん達とでは、何か決定的に違って見えました。

アルフィーのように、メリーアンのヒット曲でブレイクするまで、実力はあるのに下積みが長かったというエピソード。

チェッカーズや安全地帯のように、九州や北海道から東京に進出したという必死さ。

そういったものがなく、人ごとのような感じで演奏して歌っているかのようでした。

コンセプトが都会的な雰囲気、おしゃれ、海、ドライブ、・・・・・

都会的なアレンジで、洗練されています。

杉山さん達には、がむしゃらさがないところが、楽曲のイメージにマッチしたのかもしれません。

そして、当時(1980年ごろ)のアメリカ西海岸で流行していた音楽を思わせます。

洋楽、とくにアメリカンポップスが好きならば、杉山清貴&オメガトライブのアルバムを聴くと心地良く感じると思います。

パクリとまでは言わないものの、かなり影響を受けていますね。

世界的に注目

世界中で、シティ・ポップスが流行したのも、西海岸の音楽を思わせるアレンジや曲調を感じたからだと思います。

しかも、杉山さんのボーカル力は唯一無二です。伸びやかな声。ずっと聴いていたいと思わせるクセのない声質。

フュージョン要素もある曲が多いので、バンドもかなりテクニックを必要とします。

アルバムレコーディングはスタジオミュージシャンだった、と「杉山清貴&オメガトライブ 35年目の真実」には書いてあります。

しかも超一流の方々です。

オメガトライブのバンドの方々は、レコードの録音が自分たちの演奏でないことに反発したそうです。

それでも、猛練習を重ねてライブでのパフォーマンスは、申し分がないほどの腕前になったそうです。

私は、オメガトライブの演奏が大好きです。オメガにしか出せない音です。

DVDなどでライブ映像からも、彼らの音だとすぐにわかります。

生で聴いてきたファンの方たちが、一番ご存知だと思います。。廣石さん(泣)

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